収斂した世界の安らぎと気合いの話






明けましておめでとうございます。
本年も宜しくお願い致します。












振り返ってみて、2016年は良い年だった。


2015年のクリスマスからこじれにこじれた元彼とは、別れたりヨリを戻してみたりしながら時間をかけて3月に自ら関係を切ることができた。付き合っている内は友達を無くすような行動もしたし、実際性格が悪くなっている自覚もあって我ながらかなりキツイものがあった。それはもちろん元彼のせいだけじゃなくて私に確かにある内面がボロボロと漏れ出たせいではあったんだけど。
別れる前後はかつて私に思いを寄せていた後輩だったり痴話喧嘩を笑い飛ばしてくれる男友達だったりにかなり甘え、でもそのおかげで別れた3時間後には元気に遊びに出かけることができた。迷惑をかけたなとも思っているけど本当に感謝しています。


自分でも笑ってしまうんだけど、別れた3日後には好きな人ができていた。
恋に落ちる瞬間をあんなに強烈に自覚したのは初めてだった。好きだなぁと思うきっかけのエピソードなんかは今までの恋でも当たり前にあって、もうこんな、こんなことがあって大好きになっちゃったの〜!なんていうのは散々周りに話してきたけど、一瞬で、瞬間に、あーあ好きになっちゃったなコレは、と自覚して、しかも別れた3日後で、おまけに昔振った男で、前向きすぎる自分にまぁ割と引いた。
別れた直後にたまたま側にいた人間にときめいてしまうなんてよくあることだなんていうのはわかっていたし、ましてや1ヶ月前の2/14になんの下心も無しに2人きりで遊んだ相手だった。さすがにそんなチョロいことがあってはいけないだろうと思った。だから最初はまぁ暇だし他にいないし少し様子を見てみるかなと行動していた。

その人とは、5年前に2秒ほど付き合っていた。
女子校の中でもかなり地味なスクールカーストに位置していて男性への免疫がなく、元気に暗く夢見て生きていた19歳の私には手に負えない相手だったというのは今でも思う。あの時の流れは1つも間違っていなかったしあぁなるしか無かった。それからも仲は良かった。良くしてくれていた。ありがたいですね。でも2人で遊んだことは付き合っていた2秒とその2年ほど後にたまたまの2回だけだった。2が多いな、ニャンニャンニャン。そんな友人となんでわざわざ彼氏のいたバレンタインに2人きりで遊んだかはよくわからない。当時の彼氏と別れるきっかけの1つではないと言ったら全然嘘になる。
その日は普通に楽しくて、彼からもなんだか楽しかったねと言われて、あぁ、この人とは2人で遊べるようになったんだなぁと思った。私は19歳にしてはどうしたって幼かったし、相手もこなれて見えていたけど今考えたら19歳の男の子だった。周りの友人たちも19歳で、大学生だった。楽しく健やかに仲良く過ごしながらもどうにもやりづらいこともあった。そんな中で5年経ち、私は23歳(2/14時点)で大学生ではなくなっていたし、相手も、周りも23歳になっていた。囃し立てられることもなく、友人として育んできた5年間もあり、2人で遊ぶことはとても自然なことだった。ただ、1年後にこんなことになってるなんて2人とも全く考えもしていなかったけど。

2人で遊んでも良いんだなんて当たり前のことを、お互いに、自然に思えていたのは大きかった。
それからの私の行動は、アプローチと呼ばずしてなんと呼ぶかと言うほど情熱的だったと思う。し、それに気づかずにホイホイと遊んでくれた彼には感謝している。なんとなく好きあえてなんとなく付き合えて、私なりに考えたりもしたけどまぁまだ24歳夢見てもいいかななんて思って今に至っている。ただのんびりと目の前のことを楽しむ平和で幸せな1年だった。1年前の自分達にこうなるよと伝えても笑い飛ばすよね、なんて甘い冗談を言って大晦日に2人で笑っているくらいには夢見たまま幸せに過ごしています。おほほ。ひとえに作冬の私を見捨てないでいてくれた皆々様のおかげです。本当に。仲良くしてくれてありがとう。
2016年は割と彼氏に全振りしたと言っても過言ではないかなと、それでよかったかなと思っている。元彼と付き合っていた時には強烈に感じていた世界が縮まっていく感覚が、今の彼氏と付き合っていても無かった。それは彼氏が合わせていてくれたからでもあると思う。でもやっぱり、この小さな世界だけで生きていてはダメだなぁ、嫌だなぁと思うので、2017年はギリギリまで小さくなった世界をまた少しだけ大きくできたらなぁと思っている。

強く誠実に生きることを決めてから、色々なことが上手く回っていった。
ここ数年上手くいかないことが多くて酷く悩んだりもしたけど、自分の限界とか向き不向きとかを受け止めることを少し意識して努力したら、まぁ割と受け入れることができるようになった。こんなに簡単にできるなんて、私も歳をとったんだなと、完璧に思春期は終わったんだなと思う。もうアラサーになるしね、当たり前なんだけど。意外と働くことが嫌いじゃないとか割と情が深いとか実は自分が無くて朱に交わって赤くなるタイプだとか、いろんな発見があったしそれをそんなもんか、と受け入れることができた。2016年は転の年だった。ありがたいことに、なんだかんだ頑張ってれば見ていてくれる人もいる環境にいるので、2017年も気合を入れて強く誠実に生きていきたい。



同類憐れみの令と好意の話



夏休みが終わってしまった。










昨夏はYeah!めっちゃホリディをテーマソングに据えたことで全てが上手く回ったと思っているので今夏もテーマソングを決めて夏に臨んだ。昨夏のテーマソングは少し一夏の恋要素が強かったかなと思ったので、今年のテーマソングは藤井隆のナンダカンダだった。あんたなんだ次の番は、との言葉に乗っかってまんまと夏本番直前に彼氏が出来たので、なかなかに、いやかなり楽しい夏を過ごすことができた。





以上、2016-8-17の下書き






コンテンツになりたかった16歳の話




「裏アカ」を閉鎖してみました。




理由としてはいっぱいありました。


だんだん自分の中身を出すよりも周りの人へ対する気持ちのツイートが増えてきたこと、裏アカで何言ってっかわかんねーなと思われたくない人ができたこと、圧倒的にキレが無くなってしまったこと、そして自分の中のメンヘラが溢れ出してしまいそうだったこと。


そもそも裏アカをいつ、どんなきっかけで作ったのかももう覚えていません。調べたらどうも2013年3月7日から運用していたみたいだけど。約2年半、このアカウントがあったおかげで気持ちが楽になったことなんて星の数ほどありました。

持っててよかった、裏アカウント。










私の「本アカ」は2010年に高校の仲良したちと始まりました。


1年生の時は毎日ひたすらしゃべり続けていたけど、受験期には直接会う余裕も無く。スキマ時間に更新してはみんなの様子を把握していたものです。



それまでにも「リアル」と呼んでいた短文ブログみたいなものはずっと続けていて、私はそれが大好きでした。


自分の思いの丈をダラダラと綴るのも好きだったし、当時はデコ絵文字とかも最盛期で、ブログ自体のデザインを自分だけの凝ったものにすることにもすごい情熱を捧げていたと思います。「デザインテンプレート」を公開できる機能とかもあって、季節やイベントごとにデザインを投稿していたりしたなぁ。私はあの文化がとても好きでした。



そんな「リアル」で定期テスト当日の朝に、自分のおさらいとして世界史をひたすらまとめてみたことがあったんですよね。

そうしたらいや、異様に頭に入る。

これは良い、と何度か繰り返すうちに、だんだんテスト前の私のまとめが周りに定着したようで、「あれとても助かる!」と言ってもらうことが何度かありました。


私はそこで味を占めました。




(自分の書いたものはコンテンツ足り得る?)





実は「リアル」以外でもブログやってみたり短い小説書いて公開してみたりしてました。BLだったけど。


ブログはまぁ書くこと無くてね、全然ダメ。

そもそも当時私が属していたブログジャンルは交流を重視するようなジャンルで、私はそこまでそのジャンルに足突っ込む気は無かったし、知らない人との「文字以外」でのコミュニケーションを取る気も無かった。読み物としての面白さも、そのジャンルに肩まで浸かった大人達に勝てるわけもなくそうそうに辞めてしまったのを覚えています。




小説はね、まぁそこそこ続きました。反応もあったし楽しかったんでしょうね。でもどうしてもBL自体にそこまでのめり込めなかった。


当時BLにすることが流行ってた少年漫画の二次創作でちょいちょい書いてたんだけど、もう全然このキャラである必要なくない?みたいな。ていうか男女で良くない?みたいな。


流行りのジャンルで書くと上手い下手に関係なく多くの人の目に触れるから反応も多いんですよね。それが楽しかった。


けどもうほんっとにどうでもいいの!笑


漫画に無い設定を捏造する気持ちとか微塵も湧いてこなくて、誰それかっこいいみたいなのも全然なくて。二次元大好きだったけど「カッコイイ!」みたいな気持ちはついぞ持てなかった。

作品を額面を飛び越して受け取れたことがあまり無いです。作品は出来上がってる状態がなんだかんだ一番楽しいと思っています。だったら自分でイチから書けばよかったんだけど、そこまでの想像力も無かったんですよね。センスの無い人生です。










ただ、まさか自分が素で書いた文章がこんなに反響を受けるとは思わなかった。


たぶん合ってたんです、考えを放り投げていくスタイルが。

私は、今このブログを書いている時もそうですけど、いまいち着地点を決めずに見切り発車で書き始めてしまう癖があります。この癖を直さない限り私はどうあがいても「良い文章」は書けないだろうと思うんですけど… 好きなんですよね、見切り発車。




考え過ぎてしまうくらいに、考え事が好きだから。



ひたすらポンポン浮かんできた考えをちょっと放流するだけでアクションが返ってくる「Twitter」というスタイルはとっても私に合っていた。



裏アカは(良い意味で)私がどう思われてもいい人しか見ていなかったのもあったし、決してみんなそれを馬鹿にしてこなくて、それどころか面白い面白いと反応をくれるのがとても嬉しかったです。




でもだんだん、考えを放流するんじゃなくて、放流するために考えているなぁみたい場面が増えてきました。




私はあくまでも「自分の書いたもの」をコンテンツにしたいだけであって、「自分」をコンテンツにしたいわけでは無いんです。





そう、言ってしまったけど、



私は「自分の書いたもの」をコンテンツにしたい。




馬鹿だなぁとは思います、この歳になって。でもやっぱり面白いよって言ってくれる人がいるなら面白いこと書いていきたいし。自分がプラス面で評価してもらえるのは私にとってはとても嬉しいことです。


ただ、自分を切り売りすることはあまり私の望むところでは無いです。

自称しておいて何か、という感じですけど、私はメンヘラではありません。周りから「メンヘラ」という評価を受けている限りは私の書いていることはコンテンツになれていなくて、あくまでも「私」を見て笑っているだけなのだろうと思います。



考えることにとらわれてしまって自分の目の前にあるもの大切にできなくなるなんてまっぴらごめんなんだよね。そこまで自分をすり減らして生きていけるほど図太く無いと思ってます。



面白いことを書きたいがために無駄に毒を吐いたり考え過ぎてしまったりとか、そしてそれに納得させられてしまったりとか。自分のパッと吐いた言葉に自分を持ってかれるようじゃ全然ダメで。

だから下手でも、自分の中で温めて推敲して、残った思いを面白おかしく書けたらいいなと思います。



そして欲を言えば、それを面白いと思って欲しい。




たぶんコンテンツとしてのレベルは一気にぐんっと落ちるけど、自分を減らさないで生きていければいいなと思う。







裏アカの閉鎖は、私の精神的な断捨離なのでした。







下手な布教と未熟な憧れの話



に、うっかりハマってしまった。

流行ってるのは知ってたけども
名前で敬遠してたゲスの極み乙女。

変なおっさんがいるなと思っていた


アラサーちゃんの主題歌だった

猟奇的なキスを私にして

がキャッチーですごい良くて
今1曲エンドレスリピートし始めて
ざっと30分経つんですけども。


歌詞の意味がさ
幅広く取れそうだったので
歌詞解釈で調べてみたんですけど。

意外と出て来ないもんですね。
シドとかムックはアホほど出て来たのに。


んでヒットしたのがコレ。


自分が思い描いてたものとだいぶ違っていたので
そうかぁいろんな取り方があるなぁと
関心したんですけど。


も。



猟奇的なキスを私にして

私としては

不倫ではなく、
普通に付き合ってたんじゃないかなと。

まぁそこそこ長く付き合って
なんか倦怠期だね みたいな
もう愛とか恋とかでもないね みたいな。


不倫だったら
後悔したくない、
そう思って駆けないでしょ。



まぁ酷い男だったのかなとは思うけど。

私は、酷い男と駄目な女の
共依存の話かなって思いました。


んでだめだねってなって
別れましょうってなって

お互い次の人と付き合ってー
ってなったんだけど

"私"は割とあっさり
次の男と別れちゃったんじゃないかな。


新しく彼女も作って
飄々とやってた男が

えーーーーーーー。

…って歌かなって思いました。





それやっぱ僕のもの

それやっぱ私のもの




それ ってなんでしょーーーー


それ って 、愛。

ていうか

「あなたの向ける愛」

みたいな
すごく身近なものだと思う。



あなたの愛は僕に
あなたの愛は私に
向いてるべきでしょ?


みたいな。






電車の窓越しに男に気付いてたのに
知らないフリして
夢ばっか見てやるわ
って目を閉じて


したり顔でサジ投げて

結局
私やっぱ1人で生きてくわ

って言えるのは
格好いいなぁと

思いました。






メルヘンちゃんと呼ばれて






メルヘンちゃんと言われました。






メンヘラチャンじゃないよ。












今日は三鷹の森ジブリ美術館に行ってきました。

私は2回目です。
前行ったのは2,3年前だったかな?
私以外の3人は初めてだったようでした。


前回来た時は、映画が「くじらとり」でした。

めいとこねこバス」が見たかったんだけど、いやいやえんも大好きだし、とくにくじらとりは好きな話だったので大満足、こねこバスは見られなかったけど、変なやつじゃなくて良かったね、なんて会話を母としたのを覚えています。

(余談だけど「くじらとり」を読むと、「モモ」の空想遊びみたいな章を思い出します。)


今回は「星をかった日」を上映していました。
またしてもこねこバスが見られずガッカリ…
しかも、星をかった日って映画の中でも特に暗そうやんハズレ引いたわ…
と思ってたんです!が!

これが!たいへん!よかった!!

映像はキラキラ系ですごく綺麗だし、世界観も素敵、なんなら声優も豪華だった。
星をかった日、とてもオススメだよ!!



映像が終わり、"土星座"を出た友達の第一声が

「なんかよくわかんなかったわ!」


うーん、
マーニーを一緒に見た時の感想の感じから、きっとこいつこういう感想言うだろうなぁとは思ってたけど、本当に期待を裏切らない男だ。



常設展示は前来た時とさほど変わりなく。
そりゃね。そうよね。常設だものね。笑

ちょこちょこ扉を開けて覗いたり、仕掛けを眺めたり、フィルムを凝視したり。
カラーチャートとかセル画の色指定とか見るのやっぱり好きだなぁとか、絵が上手いなぁなんて当たり前のことを思ったりとかしながら、隣で「なにこれどういう意味?笑」って言ってる野郎に解説をしてあげたりして。


その時にふと思いました。


あー、これは、あれだ。
私やっぱりしばらく彼氏できないぞ、と。



大好きな大好きな大好き友達でも、ふとした時に漏らす感想とかを「こいつ何言ってんのかな何もわかってねーな」って思ってしまう。

感想なんてものは、こうなんだよ、って正すのも違うかなと思うし、間違った事実を言っていたとしても、いやこれはこうだよって教えてあげることができない。
教えるより先に何トンチンカンなこと言ってんの?って思ってしまう。



そして
あーあ、あの人とここ来たらもっと楽しめそうだなぁ
と思ってしまう。



たぶん今日一緒に行った彼は、かなり「わかんないやつ」寄りな人だと思う。
でも、なんか周りがそういうの多過ぎて、そういう反応が普通なのかなぁと思っちゃうよ。


そんな奴なのはわかっていたけど、なんだかがっくりしちゃって思わず聞いたよね。
「なんで映画好きなの、そんなんで見てて楽しいの?笑」って。
かなり底意地の悪いこと言った自覚はあるけど、それでも笑って「ね、俺も自分で思う(笑)でも楽しいよ(笑)」って言ってくれる彼は優しいのか鈍いのか…?笑


どうなのかな、普通なのかな。
それとも私の周りに鈍い男、馬鹿な男が多いのかなぁ。
…まぁそれは否定できないなぁ。笑
奴らは馬鹿だからなぁ。笑



なんて、まぁその時はここまでは考えなかったけど、彼氏できない予感なんかを感じつつも楽しく展示を見ておりました。


最後に特別展を。
今回は「くるみ割り」の展示をしていました。
ちょっと前になんか展覧会やってたよね。

くるみ割りの原作の話、原作を改変した童話の話、モチーフ、絵、なんかがいっぱい展示してあったんだけど、ツレの皆様やたら見るのが早いのね。
まぁ気にせずじっくり見てたんだけど。

そしたら、背後から


「あいつメルヘンちゃんだからな(笑)」


って声が聞こえて来ました。

振り返ったら、机で休憩している3人が、こっちを見ながらニヤニヤ話していました。


そうかー、私メルヘンちゃんかー。

まぁ自覚はある。
メルヘンちゃんだと思う。
ああいうの大好きよ。


ただね。


ここジブリ美術館なんだけど!?
日本でも有数のメルヘンな施設なんだけど!!?
むしろここ来てメルヘン感じないってどゆこと!!!?



常設展も見るの早いしさ、ギミックとかも教えなかったら気づかなかったの多かったよね、と思うの。
でもそれ全部説明書きしてあったじゃない!?
特別展も、説明とか解説とかあんなにいっぱいあったのに、全然読んでない。
ハンドルがちゃがちゃ回してギミック動かして騒いで、それだけしかしてないよね?

そんな人達に、展示をじっくりと見ていたら、メルヘンちゃんと言われました。

心底がっくりした。

メルヘンちゃんて言われても構わない。
ていうかむしろ君らに何言われてもなんでもいいやと思った。
こういうことを楽しめないくらいなら私はメルヘンちゃんな方が何倍も良い。



彼らは彼らなりに色々受け取ったんだと思うし、感想なんて人それぞれで良いんだとは思う。


けど、私はきっと周りの人を一段見下している。


こいつ何言ってんのかな。
表面的なことしかわかってねーな。
情緒がねーな。

そんなことを考える。
自分のことを棚に上げて。

自分はわかってると思ってるのかな…
自分は情緒があると思ってるのかな…

そんなことは無いって知ってるけど、心ではきっと「その辺のやつよりわかってるし情緒あるわ」って絶対思ってる。


それの対価として私はメルヘンちゃんと言われるのだろうな。
メルヘンちゃんって言われるのは本当に心底むかつくけど、メルヘン評価がそんなに簡単に降りてしまう世界にいる自分を呪うしかないレベルのがっくりでした。



映画「千年女優」を観ました



今敏のアニメ映画、「千年女優」を観ました。



数年前からずーっと観たかったんだけど、なんか色々あって観てなかった千年女優
正直前知識とかあんまりなかったんだけど、思ってたよりもとてもとても良い映画でした。
数年前より今観てよかったなと思えました、たぶん当時見るよりも数段味わい深く観れたと思うから。笑




銀映プロダクションの70周年記念事業として、かつて活躍した伝説の大女優・千代子のドキュメンタリーの作成が決まった。
引退して以来30年ほど誰にも姿を見せず、取材等も断り続けて来た千代子だったが、今回の立花の取材申し込みは喜んで受け入れた。それは立花の持ってきたある手土産に深い理由がある。
取材が始まるやいなや手土産の催促をする千代子。
立花がうやうやしく渡した箱の中には、古びた鍵が1つ収まっていた。
その鍵は千代子の人生を語る上でとても大切なもので…



これはねー、あらすじもどこまで書けばいいのかわからないね。
どこまで書けばあらすじかなあ。



その鍵はかつて少女だった千代子がある男から「預かった」とても大切な物だった。
鍵を返すことを目標として、名も素性も何も知らない男に会うために、千代子は女優となり演じ続ける。
「あの人に会わなきゃいけないんです!映画に出続けて、あの人に気づいてもらわなきゃ!!」
そんな千代子の人生は、女優として、そして1人の娘として駆け抜けた輝かしいものだった…




こんな話かな。
私たぶんあらすじ書くの下手だな、練習しよう。


劇中劇と千代子の回想がごっちゃごちゃになりながら物語は進んでいきます。
どこからが劇中劇なのか、どこまでが千代子の人生なのか。
映画を見てる人にはきちんと説明がされません。
言ってしまえば全部劇中劇だし、全部千代子の回想。
そこを分ける必要とか全然無いんだよね。




さていきなりオチですが


「だって私、あの人を追いかけている私が好きなんだもの!」


 最後のこのセリフ、演出、タイミング的に深読みできるなぁと思ったらやっぱりネットの海には色んな意見が溢れていた。
この発言だけやたら浮いて聞こえるんだよね。
たぶんバックの音が一瞬途切れるんです。


ところで、私は最近深読みできそうなアニメ見てそれについての考察読み漁るのが趣味です。
なんならアニメはあらすじだけ見るんでも考察読むと楽しい。
エヴァまどマギ、ピンドラ辺りをこの見方するの超お勧めです。


話を戻しましょう。


千年女優も、考察が溢れているだろうなあと思い読み漁ったら、やっぱり最後のセリフについては色々な意見があるんだね。

純愛だの自己愛だの恋に恋だの色々言われてるっぽいけど、全部ひっくるめてのセリフだろどう考えても。
よく知りもせぬ、だけど運命のあの人を想って駆け抜けてきた人生こそが自分の人生で、そんな人生を私は愛していますって話だと私は思いました。
運命なんて感じたい時が感じ時なんだよサマー。

LOVEばかりが愛じゃないでしょ、愛だけが運命じゃないでしょ。
どうしようもなかったんでしょ、安く言えば魂が惹かれたんでしょ。
どんな風に生きたって、ある程度幸せだし、ある程度不幸なんですきっと。


このセリフ、決して女優の自己愛とかを表現したかったんじゃないと思うんだけどなぁ。

恋をして、女優として、一人の娘が生きたんです。
全部全部ひっくるめて、我が人生に一片の悔いなし!っていうセリフでしょう?
まぁ監督本人がこのセリフについては語ってるらしいから、調べてないけど、私はこういう風に感じましたという話。

人によって違うんだろうけど、さすがに自己愛だと受け止めるのは穿って見過ぎだと思うし、恋に恋と見るのは情緒がなさ過ぎると思うなぁ。



本当に好きな人って、たとえ振り向いてくれなくても、その存在がいるだけで、いただけで、人生が嬉しくて楽しいものなんだ、ってことじゃないかな。


と、「今」は思う(笑)。
数年後どう思うか知らないけど。
数年経って何かが今と変わっている時に、どう思うかなぁ。
ていうか今と変わってるかなぁ。
変わってておくれ。笑


これもなかなか重たい感想になりました!
時期が悪い、時期が!!


映画「(500)日のサマー」を観ました




お勧めされていた「(500)日のサマー」を観ました。



平凡な青年トムの働くグリーティングカードの制作会社に、新しく社長秘書としてやって来たサマー。サマーは身長も体重も普通の女の子。けれどもサマーには普通じゃない魅力があったのです。

そんなサマーの魅力に呆気なくやられたトムですが、サマーは一筋縄ではいきません。


「私、真面目に付き合う気が無いの」


サマーに近付きたい一心で、「2人の関係にレッテルを張るのなんてナンセンスだよ」と言い切ってしまうトムですが、実際そんなにオシャレな考え方なんてできない不器用な男なのでした。


「恋愛なんていうのはね、一時の気の迷いよ、精神病の一種なのよ!」とのたまわんばかりのサマーと、「僕らが出会ったのは必然、つまり運命さ」と言わんばかりのトムの恋の行方は…!?




なんかこんな感じの話でした。



とりあえず、サマーが可愛すぎた。

ズーイーデシャネルも勿論可愛いんだけど、服装がとても可愛い。

なんとなくNANAのハチ子みたいだなと思いました。

私はああいう服とっても好きだよ。


そして可愛いはやはり正義なのです…


可愛い可愛いサマーは周りを夢中にさせて生きてきた感すごいし、自分の魅力をわかってて、それでいてわがまま貫いてる感もありました。


とにかくサマーは悪魔だ。


付き合う煩わしさとかわかるけど、「だって私達友達でしょ?」っていう隠れ蓑を用意してるだけだよね。

もちろん最初にその策に乗っかったトムが浅はかなんだけど。

それじゃ嫌だよ、ハッキリさせてよ、付き合ってよってちゃんと言い続けていれば、サマーは始めから面倒臭がってこんな関係にはならなかったかもしれないね。


でも私にはトム馬鹿じゃんと言い切ることはとてもじゃないけどできません。

好きな人が釣り糸垂らしてたら、どんなに疑似餌だってわかってても喰いつかないではいられないよね、仕方ないよね。

わかってて「私悪くないもん」って言ってるサマーはやっぱり悪魔だと思います。



終盤のトムの「君は欲張りだね」というセリフが、可愛いは正義だってことを証明してますね。


サマーは、可愛いから、許される。


好きになったら結局受け入れるしか方法が無いんだね、悲しいね、無力だね。



そんなサマーにあっさり切られて、目の前からもいなくなられて。

トムはめっちゃ悲しかったし落ち込んだとは思うけど、それでよかったんだ。

サマー偉いです超誠実。

向き合えないと思ったらきっぱり姿を消してあげるほど優しいことはないと思う。


サマーは確かにトムのことめんどくさくなったんだとは思うけど、自分を思ってくれてて寂しい時に会ってチヤホヤしてくれる人、すぱっと切るのはなかなか出来ることじゃないと思うんだよね。

サマーの出来る限りの優しさだと思います。


だからトムはただただ運が悪かっただけだ。


電車の中でうっかりサマーを見つけてしまって、気付かれますようにと祈りながら近くに座るのは仕方ないと思う。

自分を好いてくれてた懐かしい彼を見つけて声かけちゃうサマーも悪くないと思う。


ただそこでウキウキしちゃう時点でトムの童帝臭がすごいよね。

結局経験値の差があり過ぎたんだねこの2人は。

うまくいきっこなかったんですね。。



すごい可愛かったし、

素敵だったし、

思うところもいっぱいある映画だった。



けど普通にアチャーってなったのは、私にはオータムもサマーと同じタイプの女の子にしか見えなかったところ。


きっと映画学的に見たりしていけば、2人は対比させるように描いてあったりするんだと思う。


でもトムはまーたインスピレーションで女性に惹かれてしまったし、またもやモテそうな美人だし、そもそも面接来てて案内中断してもらってナンパしてる時点でトムさんお察し。

オータムのタイプ(予想)的に、そんなダメそうな男には本気にならないでしょ、、、


トムは優しいし可愛いし一緒にいて癒されるかもしれないけど、「彼氏にしたいか?」って言われると違うタイプなんだろうなと思いました。


きっとトムはオータムとの恋もうまく行きません。

なんなら面接も落ちると思います。


自分を見ているようで普通に辛い映画でした、頑張れトム。

今の私のこの感想はなかなか重いのではないかなと自覚しております。。